昭和に活動した小説家、松本清張。社会性のある事件をテーマにした「社会派推理小説」のジャンルを代表する作家であり、没後30年以上経った今も根強いファンが多数います。
松本清張の代表作、時刻表トリックの元祖である『点と線』はトラベルミステリーの金字塔と言えるでしょう。
そんな松本清張が永く住んだ杉並区の浜田山の自宅について見ていきたいと思います。
練馬区、杉並区を移り住んだ松本清張
1909年に現在の北九州市小倉北区に生まれた松本清張は、終戦後の1953年に、勤務していた朝日新聞の転勤で、東京の杉並区の荻窪に寄宿します。
その後、練馬区関町に、1957年には練馬区上石神井に転居します。1952年には、「或る『小倉日記』伝」.で芥川賞を受賞し、1956年には朝日新聞を退社し本格的な執筆活動に入ります。1958年に刊行した『点と線』、『眼の壁』がベストセラーとなり、人気作家としての地位を確立します。
1961年に杉並区の浜田山に引っ越し、1992年に逝去するまで住み続けました。転居をした1961年には、前年度の高額納税者番付の作家部門で1位、以後13年連続で1位を獲得しており、浜田山に豪邸を構えるにあたって、十分すぎる資産を持っていたことがわかります。
松本清張の浜田山(杉並区)の自宅はどこにある?
松本清張の自宅は、京王井の頭線の浜田山駅と高井戸駅のちょうど真ん中あたり、線路沿いにあります。浜田山駅は京王井の頭線で渋谷駅から約15分、吉祥寺駅から約10分ほどかかります。住所は、現在の杉並区高井戸東1丁目です。浜田山といえば、高級住宅街としても有名で、敷地にゆとりのある邸宅や低層の高級マンションが立ち並びます。
その高級住宅地の中でもひときわ目立つ、旧松本清張宅。以下は、航空写真から見た浜田山の松本清張の自宅ですが、広大な敷地の外構に沿って剪定された木々が立ち並び、今なお昭和を代表する文豪の豪邸としての姿を残しています。
写真の通り、自宅の北側は京王井の頭線が通っており、始発から最終まで毎日一定のリズムで聞こえる電車の音を聞きながら、松本清張は創作に没頭したといいます。
入り口から見た松本清張の自宅です。立派な赤松が訪問者を出迎えます。
なお、杉並区浜田山の松本清張の自宅は現在、相続されたご子孫が所有されており、住居として利用されているようです。そのため、残念ながら中に入ることはできませんが、生誕の地である北九州市小倉北区の『松本清張記念館』では、生前の松本清張が過ごした杉並区浜田山の自宅の室内が当時を再現する形で展示されています。松本清張記念館のホームページでもその一部を見ることができますので、興味のある方はぜひご覧になってください。
この記事を書いた人
宅地建物取引主任者。某通信キャリアGに勤務した後、インターネット企業で、専任宅建士、不動産メディアの責任者、全国に展開する住宅FCのWEB戦略など、IT・不動産業に従事。
最近は、物流関係の仕事で、関東・関西を行き来しています。
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